皆さん、今年のM1グランプリはご覧になられたでしょうか。
僕は、子どもの相手をしながら予選は片手間で3組くらい視聴し、
決勝の時間帯は子供がすでに眠っていたので、
割と真剣に全組のネタを視聴しました。
僕は関西出身ということもあり、漫才やお笑いは昔から好きで、
関西地区で放送されているオールザッツ漫才は昔は毎年欠かさず見ていましたし、
吉本超合金やガキの使いなんかも中学生のころから毎週録画して、
欠かさず見ていました。
とはいっても最近はお笑い熱もそれほど高くなく、
お笑いはテレビでたまたまやっていたら見る、くらいの姿勢になっていました。
今日はそんな僕が今年のM1を見た感想について書こうと思います。
今年のM1を見た感想
今年のM1を見た感想なのですが、
(多分、見た人は誰もが感じていると思いますが)
漫才ってそもそもなんなんだっけ?
と思ってしまいました。
予選一位の「おいでやすこが」のネタは、
ひたすら歌を歌っている相手にひたすら突っ込むというネタでしたし、
優勝した「マヂカルラブリー」のネタはボケの野田クリステルさんの動きに、
ひたすらツッコミを入れる、というネタで、
漫才ってこんなんやったっけ?という感想を抱きました。
なんか全部コントっぽいネタだなぁという感想を抱きました。
3位になった「見取り図」のネタは決勝の中では唯一、漫才って感じだったんですが、
優勝できるほど面白かったか、といわれると、そこまでではなかったかなぁという感想です。
厳密に言うと、若手の頃のダウンタウンの誘拐と言うネタも、
誘拐犯(松本)と誘拐された子供の親(浜田)というシチュエーションコントに近いですし、歴代のM1チャンピオンでもコントぽいネタは多かったのですが、
話術というより、ボケが動きや歌により構成されているために、
色物感をすごく感じてしまいました。
漫才とコントの定義
ここで、漫才とコントの定義を再確認してみたいと思います。
辞書によると
二人の芸人がこっけいなことを言い合って、客を笑わす寄席演芸。万歳2が現代化したもので、大正初期に大阪で起こった。初め「万才」と書き、のち形式も多種多様に発達。
1 短編小説。特に機知に富み、ひねりを利かせた作品。
2 笑いを誘う寸劇。
となっています。
ベン図でいうと全くかぶっていない存在の2者かなと思っていたんですが、
二人の芸人がこっけいなことを言い合って、客を笑わす寄席演芸と笑いを誘う寸劇って、結構なレベルで重複している気がします。
僕の頭の中で、漫才=しゃべくり漫才(単純に話芸のみで行う漫才の総称)のイメージが強かったので、こんな違和感を感じてしまったのだと思います。
しかも、よくよく調べてみたら、
「コント漫才=漫才において、その会話の流れなどで始まるコント」なる定義も存在しています。
漫才とコントは違うでしょという僕の頭が固かったと認めざる負えないです。
ただ、コントの方が突然開始する、セットやメイク、小道具をめっちゃ準備した演劇性が強い、という認識は間違っていないと思います。
しゃべくり漫才復権への期待
今年のM1がめちゃくちゃ面白かったかと言われるとそこまでではないですが、
女性芸人No1決定戦の THE Wよりは確実に面白かったと思います。
(THE Wは二組くらいみて面白くなくてテレビ消しましたが)
個人的には、自分にとって話の仕方も勉強にもなる、
話が面白いタイプの話芸の漫才が復権してほしいですね。