下記のブログを読んで考えさせられることがありました。
下記ブログの概要は、
警察官になりたくで無事、警察学校に入学できたものの、
入学後に集団生活や訓練についていくことができず、
なかばパワハラ、いじめのようなものを受け、
自主退学に追い込まれた人の話です。
コメント欄には、
警察学校はなんてひどい組織なんだ
等の著者を擁護する意見もあれば、
訓練についていけないのにその立場に居座り続けようとしたあなたが悪い、
警察という仕事は大変な仕事なので適性がないなら自ら去るべきだ、
と言う意見もありました。
暴力やパワハラがいけないことと言うことは私も認識しており、
力づくで退学に追い込んだ、という手法は確かに良くないです。
ただし、私は 業務に向き不向きはあると思っており、
適性のない人(その業務に向いていない人)は
自ら職を辞するべきだと思います。
なので、後者の意見に同調します。
努力が報われないことは知っておくべき(教わるべき)
例えばビートたけしさんは、こんな言葉を言っています。
努力すれば、きっとなんとかなるって、
そんなわけないだろう。
一所懸命やればなんとかなるほど
世の中甘くないってことは、
親とか周囲の大人が一番知ってんじゃねえか。
必死にやってもうまくいくとは限らなくて、
どうにもならないこともある、
それが普通で当たり前だってことの方を
教えるのが教育だろう。
私もその通りだと思います。
実際、コンサルティング業界でも、
ちょっとこの人危なそうだなと思った人は
大抵が1年以内に業界を去っていきます。
パフォーマンスが悪いとプロジェクトにアサインされなくなり、
実質的なクビになるからです。
採用者側・教育者側にも責任を負わせるべき
私はパフォーマンスが良くないことが
「悪」
だとは決して思いません。
むしろ適性を見抜けなかった面接者
その人を使えるように教育できなかった上席者
に責任があると思います。
この業界では、下位のスタッフほど、
使い捨てのような形で入れ替わりがあり、
時にはメンタルを病んで、そのまま中々社会復帰できない人もいます。
適性を見抜けなかった人、育てることを放棄した人にももっと責任を負わせないと、
大量採用で淘汰されることが当然だった
少し前の金融業界の人材システム逆のようになってしまいます。
警察学校のケースについても、人の命や人生にかかわるような職業なので
実際、適性を見抜けなかった側が悪いと思います。
そのため、面接者、訓練担当者にも責任を明確化する仕組み作りと
警察学校内でも試験の成績が悪いと落第となるような客観的な仕組みを構築すること
が必要だと思います。